「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の教材使用に関する声明について

教育勅語を道徳の教材とすることを可能とする政府の見解が示されたことについて、理事会は、教育史学会として学術的な立場から専門的な見解を社会に発信することが必要であることを一致して認め、以下の声明文を作成し、文部科学大臣、内閣官房長官および各都道府県・政令指定都市教育委員会教育長宛に送付しました。

なお、この問題に関する公開シンポジウムの開催も検討しております。

2017年5月8日

代表理事 米田俊彦

 


 

2017年5月8日

「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の教材使用に関する声明

教育史学会理事会

政府は、2017年3月31日の閣議決定による答弁書において、憲法・教育基本法に「反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」、さらに4月14日と18日の答弁書において教育勅語の「教育現場における使用」について、「国民主権等の憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目的等に反しないような適切な配慮がなされているか等の様々な事情を総合的に考慮して判断されるべきものである」との見解を表明した。このことにより、1890(明治23)年10月30日に明治天皇の名をもって出された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の暗唱やそこに記される徳目の教材活用が学校で行われるようになるのではないかとの懸念が高まっている。

教育史学会では、多くの会員が教育勅語の内容、儀式及び社会的影響等を長年にわたって研究し、その成果を蓄積してきた。上記の状況に対し、学術研究の成果の要点を明確に提供する責務から、この声明を発するものである。

「父母ニ孝」など教育勅語中の一部の文言を道徳教育に活用することは認められるとの見解が内閣官房長官や閣僚からも提起されているが、教育勅語に記述された徳目が一体性を有して「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂することは、その文面を読めば明らかである。また、公式的な性格の強い解釈書である井上哲次郎『勅語衍義』(1891年)、国定(文部省著作)の小学校(国民学校)修身科教科書、文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告』(1940年)などにおいて、個々の徳目を切り離さずに皇運扶翼を眼目として解釈することが正しい解釈として示されている。教育勅語を歴史的資料として用いることは、歴史の事実を批判的に認識する限りにおいて必要であるが、児童生徒に教育勅語を暗唱させたり、道徳の教材として使用したりすることは、主権在民を理念とする日本国憲法や教育基本法に反する。そのことは、以下の事実からも明らかである。

第一に、教育勅語が戦前日本の教育を天皇による国民(臣民)支配の主たる手段とされた事実である。

教育勅語は、明治維新後に、天皇を中心とする道徳教育と翻訳教科書による近代西洋流の道徳教育が併存するなか、1879年の政府内の「教学聖旨論争」、1887年以後の「徳育論争」、1890年の地方長官会議の建議などを契機として、井上毅と元田永孚によって起草された文書であった。このため、徳目には中国儒教起源のものと西洋近代思想起源のものが混在している。しかしその目的は、1889年公布の大日本帝国憲法施行にあたっての「告文」で「皇祖皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ」と記したことを前提とし、主権者たる天皇から臣民へ教育勅語という形式を通じて「遺訓」の内容を説明することにあった。

教育勅語は、「朕」と自称する明治天皇が「臣民」に道徳の規準を下す形をとっていること自体が、今日の主権在民の日本国憲法と相容れないものである。その内容では、徳目の起源を天皇の神話上の祖先である「皇祖皇宗」の道徳に措定し、「臣民」の祖先も「億兆心ヲ一ニシテ」守ってきたとしており、将来も「子孫臣民」が守っていく、「徳ヲ一ニシテ」いくと宣言しており、過去と現在と未来にわたる天皇と国民の道徳的な一体性を強調している。教育勅語は、この道徳的な一体性という仮想を「国体」という言葉で表現し、そこに教育の淵源を求めた。そしてこの一体的な構造の中に、中国儒教起源の「忠」と「孝」を位置づけて、さらに西洋近代思想起源の「博愛」などに至る多くの徳目を列記し、これらの徳目を、天照大神が天皇の祖先に下したと『日本書紀』に記されている「天壤無窮の神勅」を前提にして、「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という文言で集約している。

文部省は、この皇運扶翼に集約された道徳をあらわす「斯ノ道」を「皇国ノ道」という言葉に置き換えて1941年の国民学校令をはじめ各学校の教育目的として明示し、さらに「皇国民錬成」という理念と結びつけることによって教育勅語の「皇運扶翼」の趣旨を徹底した。教育勅語がこのようにして学校教育をまるごと戦時動員体制に組み込んでいく手立てとなったことは、忘れてはならない事実である。

第二に、学校現場での教育勅語の取り扱われ方に関する事実である。教育勅語は、単に道徳にかかわるテキストであったに止まらず、教育勅語謄本というモノ(道具)が神聖化されることにより、学校現場に不合理や悲劇をももたらした。

教育勅語は、1891年の小学校教則大綱で、「修身ハ教育ニ関スル 勅語ノ旨趣ニ基キ児童ノ良心ヲ啓培シテ其徳性ヲ涵養シ人道実践ノ方法ヲ授クルヲ以テ要旨トス」(第二条)と規定されて以降、国民学校に至るまで、修身科教育の基本方針とされ、修身科教科書のさまざまな教材を通じての学習に加え、勅語の「奉読」、筆写・暗唱暗写などにより、その趣旨徹底が図られた。

教育勅語は、発布と同時に謄本が全国の学校に一律に下付され、天皇制国家の臣民教育において大きな役割を果たした。とりわけ教育勅語の理念普及に果たした学校儀式の役割を見逃すことはできない。1900年小学校令施行規則により定型化された、戦前の三大節(紀元節・天長節・一月一日、1927年より明治節が加えられて四大節)学校儀式は、教育勅語「奉読」に、御真影(天皇・皇后の写真)への「拝礼」、「君が代」斉唱、教育勅語の趣旨に関する校長訓話、式歌斉唱を加え、全国で一律に挙行された。この儀式内容は、入学式・卒業式など他の学校儀式の式目にも影響を与え、教育勅語「奉読」と「君が代」斉唱は、入学式・卒業式などでの必須の式目になった。

御真影と教育勅語謄本は、1891年文部省訓令「両陛下ノ御影及勅語謄本奉置ノ件」により、「校内一定ノ場所ヲ撰ヒ最モ尊重」に「奉護」することが求められた。その結果、火災・震災時には、これらのモノ(御真影・教育勅語謄本)を火災焼失から免れさせるため「殉職」する教職員が後を絶なかった。さらに確実な「奉護」のため、1920年代頃より、校舎外に奉安殿と称する保管庫を設置させる措置を推進し、児童生徒に対して登下校時に奉安殿に向かって最敬礼させることが日常化した。1943年の「学校防空指針」は、防空に際して、最優先事項は、御真影・教育勅語など詔勅の謄本の「奉護」であり、児童生徒の保護はその次と定め、「疎開」も御真影・教育勅語が児童よりも先に実施された。

このように、各学校に一律下付された教育勅語は、①修身科教育、②学校儀式、そして③日常の「奉護」という学校生活の全体で、「国体」の理解徹底の道具立てとなった。道徳にかかわる批判的な思考の深まりは軽んぜられ、条件反射のように教育勅語を暗誦するという次元で道徳内容の身体化に寄与した。この点で、教育勅語は道徳教育の充実というよりも、その形骸化と人命軽視をもたらしたというべきである。

第三に、教育勅語が民族的優越感の「根拠」とされるとともに、異民族支配の道具としても用いられた事実である。

台湾総督府の初代学務部長伊沢修二が教育勅語を教化の手段として利用しようとしたことを手始めとして、朝鮮総督府は朝鮮教育令(1911年)において教育は教育勅語の趣旨に基づいておこなうと定め、台湾総督府も台湾教育令(1919年)において同様の規定を設けた。こうした措置は、天皇のもとで独自の「国体」を築いてきた日本人は、その独自な「国体」ゆえに道徳的にも優れているのだという教義を異民族に対しても無理矢理に承服させようとするものであった。教育勅語の文面は、「之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ」というように普遍的な道徳律であることを標榜しているものの、他方で「爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」というように血縁集団のロジックを刻み込んでいる。そのために、実際のところとても「中外」(国の内外)に広く受け入れられるようなものではなかった。当時の為政者もそのことを認めざるを得なかったために1910年代前半には台湾向けの教育勅語を極秘裏に起草する試みがおこなわれ、また、朝鮮で三・一独立運動が生じた際には教育勅語の解釈のオーソドキシーを担っていた哲学・倫理学者井上哲次郎が、「爾祖先」云々という教育勅語の文言は朝鮮人の怒りを募らせるとして、朝鮮向けの教育勅語を別に起草すべきという論を展開した。いずれも、教育勅語の権威をおとしめてしまう懸念から実現にはいたらなかったものの、こうした事実は、教育勅語が普遍性からはほど遠く、自民族中心主義、排他主義をその本質的な要素として組み込んでいることを示している。

1948年6月19日、衆議院は「これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである」、参議院は「教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる」ことを決議した。この決議に従って同月25日、文部次官が都道府県知事・高等教育機関の学校長宛に「本省から交付した「教育ニ関スル勅語」等の謄本で貴管下学校等において保管中のものを貴職において取りまとめのうえ〔中略〕至急本省へ返還方処置されたい」と指示した。教育勅語謄本は焼却処分され、公的には存在しないことになったはずである。

政府は、今年4月18日、教育勅語の使い方について、憲法や教育基本法に反するかどうかという判断を、教育委員会や学校の設置者に委ねるとする見解を答弁書において表明したが、教育委員会や学校の設置者がそれぞれに「判断」するまでもなく、憲法、教育基本法および国会決議に反することは上記の経緯の内に明らかである。

以上のことにより、教育史学会理事会は学術研究を担う者としての立場から、歴史的資料として批判的に取り扱うこと以外の目的で教育勅語を学校教育で使用することについて、教育史研究が明らかにしてきた戦前日本の教育の制度や実際にかかわる諸事実に照らして許されるべきではないとの見解をここに表明するものである。