【重要】補注追記:日本学術会議への政治介入に関わる教育史学会理事会声明
2020-10-31
理事会は10月4日、「日本学術会議への政治介入に関わる教育史学会理事会声明」を全員の賛成をもって決議しました。
教育史学会は2017年5月に「「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の教材使用に関する声明」を出しました。今回はこれに次ぐ2回目の社会的な意思表示です。
学問の自由が国家権力によって侵害されたうえに、戦前に学問の自由が未確立であったことの問題性、危険性を明らかにしてきた学会としても無視できない問題であると判断し、以下のような文面の声明としました。
2020年10月5日
教育史学会代表理事 米田俊彦
———————————————————————————————————————————–
2020年10月4日
日本学術会議への政治介入にかかわる教育史学会理事会声明
教育史学会代表理事
米田俊彦(お茶の水女子大学)
教育史学会理事会は、菅義偉首相が日本学術会議の新たな会員に推薦された者の内の6名の任命を拒否したことに対して強く抗議し、被推薦者全員の即時任命を要求する。
日本学術会議法は、政府からの独立性を担保するために、会員を推薦する基準を「優れた研究又は業績のある科学者」と規定している。内閣総理大臣が多種多様な学術研究の優劣に立ち入る権能を持ちえないことが明らかである以上、今回の措置では個々の学者の政治的・社会的な発言や活動が基準とされたと考えざるをえない。
「令和の滝川事件」とも称される今回の措置は、1933年に文部大臣が滝川幸辰京都帝国大学教授を「赤化教授」との評判に基づいて休職処分とした事件や、1935年に当時の学会の通説(天皇機関説)を「不敬」とする声に押されて文部省が美濃部達吉東京帝国大学教授の著書を発禁処分とした事件を思い起こさせる。当時の政府・文部省は強権的措置により学問の自由を抑圧した上で、1936年の日本諸学振興委員会設置、1939年の科学研究費創設、1945年には学術研究会議への研究動員委員会設置などを通じて、「国策」に役立つ「国家有用」の研究だけを選択的に「振興」する体制を整備した。
学術研究会議の後身である日本学術会議が政府からの独立を原則としているのは、戦前・戦中の学界が「国策」に全面協力したことへの痛切な反省に基づいている。学術会議は創設翌年の1950年には「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という声明を発し、2017年には「学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない」として「軍事的安全保障研究」に反対する旨の声明を発表した。時々の政権による学術研究への介入は、たとえ直接の標的対象が限定されていたとしても、日本国憲法に定める「学問の自由」を決定的に損ない、学界全体を萎縮させる効果を持つ。さらに、学校教育や社会全般における自由な文化と表現の抑圧につらなる行為としても看過できない。
教育史学会理事会は教育史学の発展をもって貢献するべき日本学術会議協力学術研究団体の一学会として、政権による日本学術会議への政治介入に反対する旨、ここに決議する。
補注 天皇機関説事件の生じた1935年時点では東京帝大名誉教授(2020/10/30追記)。
PDFファイルはこちら→「日本学術会議への政治介入に関わる教育史学会理事会声明」